安楽寺仏教研修会第310回資料
衆禍波転
千葉 乗隆   本願寺史料研究所長

 私的なことで恐縮ですが、私の母は40年前の6月1日に死にました。 その数日前に次のような言葉を残して逝きました。

  衆禍の波、立ちさかまくも、光明の広海に浮沈、 こころ平安、有難や、なんにもいらなんだ。ただおたすけひとつ、 もうすんだ手ぶりでかえる。

 私の寺の一室に「衆禍波転」としるした額が掲げてありました。この言葉は、 親鸞聖人が著された『教行信証』の行巻の

  しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、 至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
とある文中にみえます。
 日頃、母は「衆禍波転」の額を見るたびに、右の『教行信証』の御文を思い浮かべて 味わっていたのでしょう。それが臨終に口から出たのだと思われます。

 病気で苦しむ中に発した母の「こころ平安」という言葉を、私はその時には理解 できませんでした。こんなにもがき苦しんでいるのに、本当にこころおだやかなの だろうかと不審に思いました。

 後日、私は『阿弥陀経』の中に、阿弥陀仏の名号を信じ称える人は、

 命終のときに望みて、阿弥陀仏、 もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、 心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。

との御文をみて、母のいう「こころ」とは『阿弥陀経』に「心不顛倒」とある「こころ」 すなわち阿弥陀さまからたまわった信心であることに気付かさせていただいたのでした。