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とある文中にみえます。
日頃、母は「衆禍波転」の額を見るたびに、右の『教行信証』の御文を思い浮かべて
味わっていたのでしょう。それが臨終に口から出たのだと思われます。
病気で苦しむ中に発した母の「こころ平安」という言葉を、私はその時には理解
できませんでした。こんなにもがき苦しんでいるのに、本当にこころおだやかなの
だろうかと不審に思いました。
後日、私は『阿弥陀経』の中に、阿弥陀仏の名号を信じ称える人は、
命終のときに望みて、阿弥陀仏、
もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、
心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。
(『註釈版聖典』124〜125頁)
との御文をみて、母のいう「こころ」とは『阿弥陀経』に「心不顛倒」とある「こころ」
すなわち阿弥陀さまからたまわった信心であることに気付かさせていただいたのでした。