正信偈和讃を依用

1、文明5年(1473)3月、「正信偈和讃」を刊行。


正信偈和讃刊記

右斯三帖和讃并正信偈四帖一部者、末代為興際板木開之者也而巳
 文明5年癸巳(みずのとみ)3月 日       蓮如

《釈分》
右この三帖和讃ならびに正信偈四帖一部は、末代興際(ママ)のため、板木これを開く者也
 文明5年癸巳3月 日        蓮如


2、『愚闇記』 (孤山隠士)

  
阿弥陀経を読まざる事
当世一向に念仏して在家の男女を集め、愚禿善信という流人の作りたる和讃をうたいながめ、 同音に念仏をとなえることあり。……阿弥陀経もよまず、六時礼賛をも勤行せず、 ただ男女行道して六字の名号ばかりとなえ、かの和讃を同音にうたいながめたり。

肉食不浄をもいましめず、袈裟・数珠具足の沙汰なし、衣を着れども袈裟をかけず、 色々の絹小袖をかさね着て、死人の追善とて卒塔婆をもたてず、禁忌ということある べからずと教化すること愚闇なり。


3、『空善記』


A、10月28日逮夜に(蓮如上人)のたまわく、正信偈和讃をよみて、 仏にも聖人にもまいらせんとおもうか、あさましや。

他宗には、つとめをして廻向するなり。御流には、他力信心をよくしれとおぼしめして、 聖人の和讃にそのこころをあそばされたり。


B、(上人)のたまわく、朝夕、正信偈和讃にて念仏もうすれば、 往生のたねになるべきが、たねにはなるまじきか、とおのおの坊主衆に御たずねあり。 みな申されけるは、往生のたねになるべし、とまうしたる人もあり。

往生のたねにはなるまじきという人もありけるとき、 (上人の)おおせに、いずれもわるし。正信偈和讃は、衆生の弥陀如来を一念にたのみまい らせて後生たすかりもうせ、とのことわりをあそばされたり。

よくききわけて信をとりて、ありがたやありがたやと、聖人の御まえにて念仏 もうしてよろこぶ事なり、とくれぐれおおせ候き。


4、「御文章」


A、文明6年10月20日(名塩本2ー26)
されば、和讃にいはく、南無阿弥陀仏の廻向の恩徳広大不思議にて往生廻向の利益には 還生廻向に廻入せり、といへるはこのこころなり、又正信偈にはすでに

唯能常弥如来号 応報大悲弘誓恩

とあれば、いよいよ行住座臥、時処所縁をきらはず、仏恩報尽のためにただ称名念仏 すべきものなり。あなかしこあなかしこ。

B、文明8年7月27日(名塩本2ー40)
当流の他力安心の一途といふは、わが身はつみふかき悪行煩悩を具足せるいたづら ものとおもひて、

そのうへにこころうべきやうは、かかる機を阿弥陀如来はすくひたまふ 不可思議の悲願なり、とふかく信じて、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつれば、 このこころ決定の信心となりぬ。

このゆえに正信偈にいはく、
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常弥如来号 応報大悲弘誓恩
 といへり。

この文のこころは、宿福深厚の機は生得として弥陀如来の他力本願を信ずるに、 さらにそのうたがふこころのなきがゆへに、善知識にあひて本願のことはりをきくよりして、

なにの造作もなく決定の信心を自然としてうるがゆへに、正定聚のくらゐに住し、 かならず滅度にもいたるなり。これさらに行者のかしこくしておこすところの信にあらず、

宿縁のもよほさるゝがゆへに、如来清淨本願の智信なりとしるべし。

C、年時不明(名塩本4ー40)
 煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてゝ法性常楽証せしむ

この和讃のこころは、たとへばいかなる悪行煩悩をもつ身なりとも、 阿弥陀如来を一すぢにたのみ奉りて、後生御たすけ候へとまふさむ衆生をば、

すなはち有漏の穢身をすてはゝて、弥陀の報土にまひりて、仏心仏果をえしめて、 法性常楽といへるくらゐにいたるべきものなり、としるべし。あなかしこあなかしこ。

D、文明12年8月23日(西本願寺真筆本)
和讃正信偈ばかりを本として、三部経をば本とは思はず、たまたまも志ありてよむ人 をばあながち遍執せり。言語道断之次第、本拠をしらぬ人のいへることばなり。

たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、忝も我等が浄土に往生すべきいはれをば 此経にときのべ給へり、

とおもひて信ずべきに、つねの人の覚悟には、三部経といふ ことをもしらねども、ただふかく聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、あらむつかしの 三部経の文字沙汰や、といへり。

これ又大なる本説をしらぬゑせ人のいへることばなり、くれぐれ信ずべからず。

又正信偈和讃をもては、朝夕之同俗男女仏恩報謝の勤行にこれを修すべきこそ肝要、 とはいへることばなり。

惣じて当流聖人の一義をたつるにつきて、和讃正信偈ばかりをもて一流の肝要といふ名言。 返々しかるべからざることばなり。されば、当流の信心を決定せん人は、生構々々朝夕は ただ仏恩のふかき事をつねに思ひて念仏すべし。