改革と伝導−−惣と講−−
1、『存覚上人袖日記』

舳渕本尊事
後藤次 覚法 覚信 西念 源五 九郎太郎 右馬太郎 藤次郎
右本尊、これらの輩、同心合力して図画し奉るの間、惣中において安置し奉る、

おのおの信仰すべきの条、くだんのごとし。
  貞和5歳巳丑3月 日   (注:1349年)
後藤次の所望によって、かくのごとく書き、これをあたう。折紙一枚□□これを書く。

、貞治2年癸卯9月25日 溝杭明教本尊外題 (注:1363年)
相伝し奉りおわりぬ。明念門徒明教

去る8月21日戸伏善教の本尊の外題をも忘却す。常楽台の御本尊をもって敬しく 写し奉りおわりぬ。明念門徒善教。

もしかくのごとくこれを書くか。明念の遺跡はただいま惣衆持ち故、遺跡より相伝の 由これを載せず。仍て某門徒の詞、相承を表すものなり。


2、絵系図序題(広島県山南光照寺)


一流相承系図
 右親鸞聖人は真宗の先達、一流の名徳なり、勧化都鄙にあまねく、化導道俗をかねたまへり、 かの御門徒あまたにあひわかれたまへるなかに、予か信知したてまつるところの相承は、 真仏・源海・了海・誓海・明光、これなり。

 ここに慶円かの明光のをしへをたもちて、みつからも信し、ひとをしても行せしむ、 无智の身なりといへとも、仏法をあかむるこころあさからす、愚鈍の性なりといへとも、 他力をあふくおもひふたこころなし、

 しかるに予かすすめをうけて、おなしく後世をねかひ、ともに念仏を行するともから、 そのかすまたおほし、仏力の加被まことにわたくしにあらさるものをや、

 これによりて道場をかまへて本尊を安し、有縁をすすめて念仏をひろむるたくひ、 先年名字をしるして系図をさたむといへとも、かさねていまこの画図をあらはすところなり、

 これすなはちかつは次第相承の儀をたたしくせしめんかため、かつは同一念仏のよしみを おもふによりて、現存のときよりその画像をうつして、すゑの世まてもそのかたみをのこさんとなり、

 しかれは名字をわか門徒につらねて、この系図につらなるともから、ことに堅固の信心 をさきとして、身命をおしまさるこころをぬきいて、ふかく仏法につかふるまことをはけますへし、

 仏法といひ世間といひ、さらに邪執をすて随順を本として、かたく門徒の衆議をまもり、 一流の儀をそむくへからす、

 かねてはまたこの門葉のなかに、惣のゆるされをかうふらすして、師匠の影像等をかき たてまつること、そのきこえあり、たた他門の嘲哢をまねくのみにあらす、まことに仏法の 破滅といひつへし、向後なかく停止すへし、

 もし入滅ののち教授の恩徳をおもひ、そのなこりをしたはんひとは、この系図にむかはん にたりぬへきものなり、

 そのうへにこころさしあらん行者は、惣のなかになけかんとき、評議をくはへて、 その期にいたり、利益ありぬへからんをは、衆議としてそのゆるされあるへきうえは、 さらさら自由のくはたてをととむへし、

 もしこの制法をそむかんやからにをいては、はやくかの知識の沙汰として、 本尊・聖教をかへしおさめたてまつるへし、

 かつは条々日ころ度々の置文に誓文等をのせて、くはしくしるしをきをはんぬ、 ゆめゆめ違犯の儀あるへからす、

 なをなをかくのことくさためをくことは、仏法をしてみな一味ならしめんかため、 門徒をして混乱せしめさらんかためなり、

 面々の行者、各々の門人、当時といひ、向後といひ、かたくこのむねをまもりて 違失なからしめんかために、さためをくところ、くたんのことし、
 嘉暦元年甲寅5月 日   (注:1326年)
    

3、「御文章」
(加賀国能美郡の四講宛、文明18年正月4日)(注:1486年)

そもそも能美郡同行中について、四講ということを始て、当流の法義の是非邪正も 讃嘆すべき興行これある由きこえ候、誠にもって仏法興隆の根元、

往生浄土の支度、 殊勝に覚え候。それについて守護地頭方へ慇懃(いんぎん)の振舞あるべく候。同く寺社本所の 所領押領の儀、固く成敗あるべく候也。

     
  • 四講会合のとき、仏法の信・不信の讃嘆のほか、世間の沙汰しかるべからず候。
     
  • 四講の人数あまりに大勢に候へば、しかるべからず候。しょせん肝要の人数をす ぐりて仏法の讃嘆あるべく候也。
     
  • 当流の法義において、ちかごろは、ことのほか路次大道をきらわず、あるいはいかなる わたり船中にても、人をはばからず、仏法方の次第を、はばかりなく顕露に人にかたる事 しかるべからず候。
     
  • 諸国において当流聖人さだめたまうところの法義の外に、めずらしき法門を讃嘆し、 同く一流に沙汰なきおもしろき名目をつかうひとこれ多し、あるいは又、祖師先徳の作り たまう外にめずらしき聖教これ多し、ゆめゆめ此等を依用あるべからず。
     
  • 当流聖人の一流の安心のおもむきというは、すなわち南無阿弥陀仏の六字のすがたなり。・・・
      文明18年正月4日    (注:1486年)
          能美郡四講中へ

4、『御文章』

(報恩講の心構え、文明14年11月21日)(注:1482年)

(前略)抑今月28日は、毎年の儀として懈怠なく、開山聖人の報恩謝徳のために、 念仏勤行をいたさんと擬する人数これおほし。

誠にもて、流れをくんて本源をたつぬる 道理を存知せるかゆへなり。しかるあひた、近年事のほか当流に讃嘆せさる、 ひか法門をたてて諸人をまとはしめて、或はそのところの地頭領主にもとかめられ、

我身も悪見に住して、当流の真実なる安心のかたも、たたしからさるやうにみをよへり。 あさましき次第にあらすや。かなしむへし。をそるへし。

所詮、今月報恩講7昼夜の内にをひて、各々に改悔の心ををこして、 我が身のあやまれるところの心中を心底にのこさすして、当寺の御影前にをひて 廻心懺悔して、諸人の耳にきかしむるやうに、毎日毎夜にかたるへし。

これすなはち謗法闡提廻心皆住の御釈にもあひかなひ、又自信教人信の義にも相応 すへきものなり。

しからは、まことにこころあらん人々は、この廻心懺悔をききても、けにもと思て、 おなしく日ころの悪心をひるかへして、善心になりかへる人もあるへし。

これそまことに今月聖人の御忌の本懐にあひかなふへし。これすなはち報恩謝徳の 懇志たるへきものなり。あなかしこあなかしこ。
 文明14年11月21日     (注:1482年)