ソレ年月キワロキコ、ロネヲサシハサミシユヘニヤ、サレトモソノ名ヲハ道念トイフトイヘトモ、 イタク道心道念モオコラネトモ、ケニハ火辺ハカハキ水辺ハウルホフトイヘル道理ニヒカレテ、 仏法賛嘆ノ中ニマシハルカユヘニヤ、 又曠劫ノ宿縁ノモヨホシニモヨリケルカ、イマ弘誓ノ願船ノ順風ニマカセテ、 コノ海辺ニナミヨリテステニモトノワロキ道心道念ヲヒルカヘシテ、ソノ名ヲアラタメテ 順誓トナツクルモノナリト云々。 当流上人の御勘化の信心の一途は、つみの軽重をいはず、 また妄念妄執のこころのやまぬなんといふ機のあつかひをさしをきて、 ただ在家止住のやからは、一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすてて、 弥陀如来の悲願に帰し、 一心にうたかひなくたのむこころの一念をこるとき、 すみやかに弥陀如来光明をはなちて、そのひとを摂取したまふなり。 これすなはち、仏のかたよりたすけましますこころなり。またこれ信心を如来よりあたへたまふ といふもこのこころなり。 さればこのうへには、たとひ名号をとなふるとも、仏たすけたまへとはおもふべからず。 ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、 如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり。 これまことの専修専念の行者なり。これまた当流にたつるところの一念発起平生業成とまうすも このこころなり。あなかしこあなかしこ。 寛正2年3月日 南无阿弥陀仏の体は、すなはちこれ願行具足のいわれなりとしるべし。また、 機法一体ともこれをまふすなり。夫衆生ありて、南无と帰命すれば、 すなはちこれ願のこころなり。 抑帰命というは、衆生の阿弥陀仏をたのみ後生たすけたまへとまふすこころなり。 すでに南无と帰命するところにをいて、やがて願も行も機も法も一体に具足する いはれなるがゆへなればなり。 これによりて、善導大師は、南无といふはすなはちこれ帰命なり、 またこれ発願廻向義なりと釈す。 されば、南无と帰命するところに、すなはち願も行も具足せしむる道理なり、とこころうべきものなり。 されば、衆生の阿弥陀仏に後生たすけたまへとまふすこころは、 われらもおなじく阿弥陀仏とならんとねがいひまふすこころなりとおもふへきものなり。 あなかしこあなかしこ。 予が身体によそへてかくのごとくをかしきことをつらねはんべり。 老が身は六字のすがたになりやせむ 願行具足の南无阿弥陀仏なり 右今度寒中、法敬坊・空善両人来臨之間、為其願行具足のいはれ書 記之者也。能々可知之。 明応7年午戊12月15日 84歳御判 法敬坊 空 善両人中へ 蓮如上人、明応7年の夏此より御煩にて、明応8年3月25日の御往生にて候。しかれば25日の 三日前に法敬坊に御文章よませ申され候て、御聴聞なされ候。 一段御感なされ候て、おれがつくりたるものなれども殊勝なるよなと仰せられ候。 おれが聞様に門徒の者が聞くことならば、みな信をえられうるぞと仰られ候。 必ず誓願寺の、となうれば仏も我もなかりけり、という所をうたわる。しばしうたわせられ、 おのおの眠りをさまさせられて、また御法談ありしなり。ただ人によく法をきかせ られて、信心の人いでくるようにとのおおせなり。 誓願寺(浄土宗西山深草派の本山)で賦算のとき、和泉式部の亡霊と一遍上人の対話が能楽「誓願寺」 の内容である。 往生なれや何事も、皆うち捨てて南無阿弥陀仏と、称うれば、仏もわれもなかりけり。南無阿弥陀仏の 声ばかり。至誠心、深心、回向発願の鐘の声、耳に染みて、ありがたや、まことに妙なるこの教へ、 十声一声、数分かで、悟りをも迷ひをも迎へ給ふぞ。ありがたき。 被召上、御衣下され着し、座上つかまり候、と讃嘆の度ごとに被申て、落涙候へば、 諸人も涙をながしたふとがられ候き。総じて遠国の人ほど上にをかせらるる事と 実如も御物語候き。 自信教人信と候時は、まづわが信心を決定して人にも教申ば、 仏恩になるとのことに候。自信の安心決定して人にも教は、則大悲伝普化の道理なるよし、 同仰られ候。 |