蓮如上人(1415〜1499)と越中赤尾道宗(?〜1516)
1、『御文章』明応5(1496)年後2月28日

ちかごろの事にてやありけん、ここに越中国赤尾の淨徳といふ(ひ)しもののをい(甥)に、 弥七といい(ひ)しをとこありけるが、年はいまだ卅にたらざりしものなりけるが、 後生を大事と思て、仏法に心をかけたるものなり。然れば、此六年のさきより当年まで、 毎年に上洛せしめて、其内に年をとる事六年なり。

かの男のいはく、当流の安心のやうかたのごとく聴聞仕り候といへども、国へくだりて人 をすすめけるに、さらに人々承引せざるあひだ、一筆安心のをもむきをふみにしるして たまはるべき由しきりに所望せしめて、田舎へまかりくだりて、人々にまふしきかしめん、 と申すあひだ、これをかきくだすものなり。

夫当流の安心と申すは、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行をなげすてて、 一心に弥陀如来後生御たすけ候へ、とまふさん人々は、たとへば十人も百人も、 ことごとく浄土に往生すべき事、さらにうたがひあるべからざるものなり。

これを当流の安心とはもうすなり。このおもむきをとかくさまたげんものはあさましきことなり、 とおもふべきものなり。あなかしこあなかしこ。
  明応5(1496)年後2月28日


2、『蓮如上人一語記』
、道宗、前々住上人へ御文を申され候へば、仰られ候。文はとりおとすことも候ほどに、 ただ心に信をだにもとり候へば、おとし候はぬよし、仰られ候。又あくる年あそばされくだされ候。


、ひとつことを聞て、いつも珍しく、はじめたるように、信の上にあるべきなり。 ただめずらしきことをききたく思うなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めずらしく、 はじめたるようにあるべきなり。道宗は、ただ一つ御詞(おことば)をいつも聴聞申すが、 初めたるようにありがたき由、申され候。


、善知識の仰なりとも成まじきなんど思は、大いなるあさましきことなり。 なにたる事なりとも、仰ならば成るべきと存ずべし。この凡夫の身が仏になるうえは、 さてなるまじきと存ずることあるべきか。然れば道宗申され候。近江の湖を一人して うめよと仰候とも畏(かしこまり)たると申すべく候。仰にて候はば、ならぬことある べきか、と申され候由に候。


3、『実悟記』
越中州赤尾道宗と云うは、蓮如 上人御在世の時一年に二度三度は上洛し、 山科野村の御坊へ参りけり。遥の路をしげく上洛す、大儀たるべし、しげく上洛すべからず、 など仰ければ、畏候と申ても猶上洛す。奇特の仏法者都鄙かくれなかりし仁也。

俗の時は弥七郎 御文あそばし入らるる也 とやらん云し事也。或時七月中旬此に上洛し、 日暮れて御坊へまいり、南殿へまいりけるに、折節奏者は下間駿河入道五郎左衛門と云時也、 蓮如上人へ道宗まかり上たり、と申入らる。やがて可参とてめさる。

月さやかにて、庭は昼の如し。御座間はくらし、いづくに御座あるとも不知くらかりけるに、 道宗心に思やう、遥久拝顔し奉らず、哀れ御尊顔を見奉らばや、とは思けれども、 ともし火ともされず、おがみ奉んと思いへどもくらし。

御前のとおりに参、御礼申ければ、此炎天に大儀に、よくのぼりたる由、被仰。 忝くて、頭を上おがみ奉ければ、御座敷光明赫奕と御すがたをもあきらかに拝し 奉りしありがたさよ、と其時の事常々ぞ道宗はかたり申侍りき。 道宗は永正13(1516)年(7歟)月 日往生す。


4、『昔物語記』
あかをの道宗もうされそうろう。一日のたしなみには、あさつとめに、かかさじとたしなめ。 一月のたしなみには、ちかきところ、御開山の御座候ところへまいるべしとたしなめ。

一年のたしなみには、御本寺へまいるべしと云々。これを円如様きこしめしおよばれ、 よくもうしたるとおおせられ候。


5、「赤尾道宗21箇条覚書」
文亀元年(1502)12月24日思立候条


  1. 後生の一大事、いのちあらんかぎりは、ゆだんあるまじき事。

  2. 仏法よりほかに心にふかく入る事候はば、あさましく存じ候て、すなわちひるがえすべき事。

  3. ひきたつる心なく、大様になり候はば、心中をひきやぶりまいるべき事。

  4. 仏法において、うしろくらき利養心あらば、あさましく存じ候て、手を引く思いをなし、 たちまちひるがえすべき事。

  5. 心にひいきをもち候て、人のために悪き事つかまつるまじき事。

  6. 冥の照覧と存じ候て、人しり候わずとも、悪しき事をば、ひるがえし候べき事。

  7. 仏法の方をば、いかにも深く重く信仰申し、我が身をば、どこまでもへりくだり候て、 たしなみ申すべき事。

  8. 仏法をもって、人に用いられ候はんと思い候事は、かえすがえす浅ましき事にて候。 その心いでき候はば、仏法信は、ただ此度の後生の一大事を助かるべきためばかりにて こそ候えと思い候て、ひるがえし候べき事。

  9. 理非をたださず、悪しき事の出来候はん座敷をば、のがれ候べき事。

  10. これほどの浅ましき心中を持ちたるよと、思し召し候はん事こそ、かえすがえすも、 浅ましく悲しくつらく存じ候。今までの事をば、一筋に御免を仰ぐといえども、 かようなる心中なる者よと、思し召し候はん事、かえすがえ身の程のつたなさ悲しさ 浅ましく存じ候。

    前生もかかるつたなき心中にてこそ、今かように候らめと、申すかぎりなく 浅ましく存じ候。もしもし、ついにお目にかかり候ても、ここをあさましく存じ候。 あらあら冥加なや、今日までうしく暗きをば、ひたすら御免を仰ぎ候。仰に任せ参り候べし。
注:
赤尾道宗:
ゆかりの行徳寺は今も残る合掌造りの集落の中にあります
この行徳寺には薪の上に道宗の寝姿が安置されています


近江の湖:
滋賀県中央部に位置する「琵琶湖」 周辺の人々は「うみ」と呼ぶ
面積は676平方キロメートル 最大深度104メートル
おうみ:「近江・淡海」 アハウミの転 淡水湖の意で琵琶湖を指す