実如上人時代の本願寺(1)

1、蓮如上人
   応仁2年(1468)実如上人に(光養丸)に譲状を書く


      大谷本願寺御影堂の御留守職の事
右くだんの住持職は、去ぬる文正(1466年)のころ、にわかに光助律師に申しつけ、 既に譲り状これを与えおわんぬ、然りといえどもその身競望なきよし申す間、 重ねて光養丸に譲与する所実正なり、ただし法流について沙汰なきの子細これ在らば、

兄弟中においてその器用を守り住持すべき者なり、次いで兄弟大勢たるの間、 等閑なく扶持あるべき者なり、もしこの条々その旨に相背かば、永く不孝たるべき者なり、 よって譲り状くだんの如し
   応仁2年戊子3月28日 (1468年) 蓮如 (花押)


2、延徳元年(1489)蓮如上人寺務を実如上人に譲る


延徳元年8月28日、南殿ヘ御隠居ノ御事トテ、御ウツリ候、ソノ夜ノタマハク功成名 トケテ身シリソクハ天ノミチトアリ、サレハハヤ代ヲノカレテ心ヤスキナリ、 イヨイヨ仏法三昧マテナリト言へリ
                         (『空善聞書』)


3、延徳2年(1490)蓮如上人再び実如上人に譲状を書く


   譲与す
      大谷本願寺御影堂の御留守職の事
右くだんの御留守職は、代々の例に任せ、早く管領すべき者なり、ただし法義に就いて 非儀の子細これ在らば、兄弟中に於いて器用を守り住持すべき者なり、

次いで男女・少児の兄弟これ多し、愚老存生の時の如く、相替わらず扶持すべき者なり、 もしこれらの旨に相背かば、永く不孝たるべき者なり、よって譲り状くだんの如し
   延徳2年10月28日 (1490年)      兼寿(花押)

4、永正3・4年(1506〜07)、畿内・北陸の大一揆おこる


当年、永正3丙寅中、諸国、大和・河内・丹後・能登・美濃・越前・加賀 ・越中・越後・参河等の在々所において、あるいは京都より発向し、あるいは 土民等の一向衆、蜂起について、合戦せしむるのあいだ、夭望の輩、幾千万という数 を知らざるの条、これによって総諸国の死人、回向のためにと云々。
                       (「東寺過去帳」)